役員人事の内定について
本日、下記のとおり役員人事を内定いたしましたので、お知らせします。
2011年2月1日付
○新任 代表取締役社長 阿久根 謙司
○退任 代表取締役社長 村林 裕
※なお、本役員人事につきましては、2011年1月31日に開催いたします取締役会におきまして正式に決定いたします。
【東京】村林社長が退任・・・取締役2人も
J2に降格した東京の村林裕社長(57)が21日、都内のクラブハウスで辞意を表明し、来年1月31日付で退任することを発表した。「J2降格が理由の中にないとはいえないが、05年以降、来場者数は伸びず、年間チケットも増えず、クラブサポートメンバーも目標に達せず、経営陣を一新したいと判断した」
と、他の常任取締役2人も退任することを明かした。村林社長は7月には後任者を選定するよう東京ガス側に伝えており、「9月に城福に解任を告げたときに、
年末で、という気持ちはあった。あの日のことは忘れない」と城福浩前監督を解任せざるを得なかったことも理由の1つであることをほのめかした。来年2月1
日から、東京ガス硬式野球部監督などを務めた阿久根謙司(49)氏が新社長に就任する。
営業不振が理由 辞意の村林社長
村林社長は辞任の理由として、J2降格ではなく、近年伸び悩んだ観客動員など営業面の不振を挙げた。主要株主
である東京ガスの取締役2人も来年1月末で退任する。「限界を感じていた。体制を一新する必要があった。(社長交代は)7月から考えていたが、9月に城福前監督に交代を告げたときに必ず辞めると決断した」と話した。
今夏、千円単位で個人出資するクラブサポートメンバー10万人入会を目標にしたが、1万2844人で頭打ち(13日現在)。05年以降、入場者数も伸び悩み解決策を打ち出せなかった。
FC東京と共に歩んできた村林社長でしたが、一言で言えば「潮時」でしょうか。後任人事が決まっていると言うことはJ2降格決定以前に辞意を固めていたことになります。
12年間でカップ戦2回優勝しましたが、クラブもサポーターもよく言えば家族的で、団結力が強い一方悪く言えば排他的な雰囲気を感じることもありました。それが城福監督解任-大熊新監督の流れや、かつての原監督復帰のような内向きの人事に象徴されたように思います。いまが”人心一新”の好機でしょう。村林社長、お疲れ様でした。
新社長は”佑ちゃん”の早実野球部大先輩・・・F東京
J2降格したF東京は21日、早実野球部OBで、元東京ガス野球部監督の阿久根謙司・導管企画部グループマネジャー(49)の社長就任内定を発表した。現社長の村林裕氏(57)は観客数の伸び悩みなどを理由に、来年1月31日付で退任する。
“佑ちゃん”の大先輩がトップに立つ。阿久根氏は、同級生の和泉実氏が早実野球部監督に就任した1992年以降、週末は母校グラウンドで後輩を指
導。日ハム入団が決まった斎藤佑樹(早大)の高校時代も成長を後押しした。「選手から考えを引き出し自立を促すのが私のコーチングの基本」。バックネット
裏でマンツーマンで斎藤に配球の考察を促し、早大時代もフォームの癖などを指摘。スーパースターの恩人の一人だ。
甲子園に2度出場し、早大野球部では主将。センターとして六大学ベストナインに2度選出され84年に東京ガス入社。今月上旬に全く経験のないサッ
カークラブの社長就任を打診され、「ただ、ビックリ」。だが、畑は違っても信念は変わらない。「全員が自立したクラブを目指す」絶対命題のJ1昇格に向け
腕撫している。
◆阿久根 謙司(あくね・けんじ)1961年10月5日、東京生まれ。49歳。早実野球部時代はセンターとし
て1978年春夏甲子園出場。80年、早大に進学し、六大学ベストナイン2回。82年の秋季早慶戦で優勝を決める決勝打を放つ。第73代主将。84年に東
京ガス入社。87年にはドラフト候補にも挙がった。98、99年と同野球部監督。2002年にR&D企画部、08年から現職。
後任は東京ガス野球部元監督。確かに早実OBだけれど、それなら王貞治氏の後輩でもいいじゃん!サッカークラブの社長の仕事は現場(ユニフォーム組)だけでなく、営業のウエイトも高い。ましてサッカー畑出身でない新社長なら強化部が頑張らないことにはどうしようもないが、サポーターから総スカンを喰らっている現状をどう変えていくのだろうか。
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