種牡馬

2011/10/04

皇帝シンボリルドルフ死す

”皇帝”シンボリルドルフ死す・・・史上初の7冠馬
自分が競馬を見始めた時に現れたのが1歳年上の三冠馬ミスターシービーで翌年に現れたのがシンボリルドルフでした。その頃買っていた競馬四季報に「メイズイの翌年にシンザンが現れたようなもの」と書かれていたようにこの馬の出現から中央競馬は第三次ブームに向かっていきます。
自分はビゼンニシキと対決した弥生賞、皐月賞にカツラギエースの大逃げに初めて敗れたJC。ギャロップダイナの大駆けに屈した秋の天皇賞にロッキータイガーを従えて快勝したJCとこの馬のレースを生で見ました。勝つときは本当に完璧で寸分の隙もなく、「無敵の皇帝」でありました。種牡馬としてトウカイテイオーを出しました。30歳の大往生、幸せな馬だったと思います。合掌。

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ギャロップダイナに負けた秋天のパドック写真です。

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2010/07/03

さらば芦毛の怪物オグリキャップ

「芦毛の怪物」オグリキャップが死亡

 多くファンから人気を博し、競馬ブームを支えたアイドルホースで「オグリ」「芦毛の怪物」などの愛称で呼ばれたオグ リキャップ(牡25歳)が3日、余生を送っていた北海道・優駿スタリオンステーションで、脚部を骨折して死亡した。オグリキャップは 1987年に地方・笠松競馬でデビュー。12戦10勝と圧倒的な成績を残し、1988年に中央競馬(JRA)に移籍した。中央競馬では引退レースとなった 1990年の有馬記念を含む重賞12勝(うちGI4勝)という偉大な記録を残した。通算成績は地方、中央を含め32戦22勝。競走馬の引退後は種牡馬となったが、中央競馬での重賞勝ち馬を出すことはできなかった。主な活躍馬にクイーンS2着のアラマサキャップや小倉3歳S2着のオグリワン がいる。地方競馬ではアンドレアシェニエ(牡9歳、現役)が14勝を挙げている。2007年に種牡馬を引退し、余生を過ごしていた。オグ リキャップは父ダンシングキャップ、母ホワイトナルビー、母の父シルバーシャークという血統。笠松時代は鷲見昌勇厩舎、中央時代は瀬戸口勉厩舎に所属。 1988年にJRA賞最優秀4歳牡馬、1990年にはJRA最優秀5歳以上牡馬および、年度代表馬になった。

笠松競馬から中央に殴り込み。タマモクロス、スーパークリークとの「昭和最後の名勝負」やホーリックスとのジャパンカップ世界レコード激走やマイルチャンピオンシップの奇蹟の差し脚、そして感動のラストラン有馬記念。今日の競馬に果たした役割は大きいものがありました。北の大地で安らかに眠れ。
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2009/10/15

メジロマックイーンの父 メジロティターン死す

マックイーンの父、メジロティターンが31歳で死亡

GI・4勝を挙げたメジロマックイーンの父で、自身も82年天皇賞・秋を制したメジロティターン(牡31)が13日、北海道洞爺湖町のメジロ牧場で老衰のため死亡したことが分かった。メジロティターンは、父メジロアサマ、母シエリル(その父スノッブ)という血統。現役時代は天皇賞・秋をはじめ、81年セントライト記念、82年日経賞などを制した。通算成績27戦7勝(重賞3勝)。種牡馬としても産駒のメジロマックイーンが天皇賞父仔3代制覇の快挙を成し遂げるなど活躍。00年に種牡馬を引退して以降は功労馬として余生を送っていた。

メジロティターン死す、82年天皇賞制覇 日刊スポーツ
メジロマックイーン死亡・・・マックイーンの父 報知
”大尾形”尾形藤吉厩舎に所属。セントライト記念優勝の直前に尾形師が死去し、師最後の重賞勝利となる。尾形盛次厩舎に移籍後、日経賞、天皇賞・秋(3200m)優勝。

メジロティターンの功績は内国産二代目種牡馬として、チャンピオンホース、メジロマックイーンを世に出したことだ。
最早日本は「種牡馬の墓場」ではないが、それでも欧米のように「父系」が伸びない。
トウショウボーイもミスターシービーで終わり、シンボリルドルフもトウカイテイオーまで。アグネスタキオンはディープスカイなどを出したが、アグネスタキオンの孫が走るかどうかは個人的に微妙だと思っている。
そういう現状が有る中、メジロティターンは少なくとも「偉大な内国産種牡馬」に間違いない。合掌

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2009/06/23

アグネスタキオン急死

朝、新聞を開いてビックリする事なんて、そうはないのですが・・・
無敗の皐月賞馬 アグネスタキオン急死!

2008年度のリーディングサイアーに輝いたアグネスタキオン(父サンデーサイレンス)が22日午後5時30分、けい養先の北海道・安平町の社台ス タリオンステーションで死亡したことがスポーツ報知の取材で分かった。11歳だった。死因は不明で、今後の病理解剖で明らかになる。同馬は、母が桜花賞馬アグネスフローラ。兄に00年のダービー馬アグネスフライトを持つ良血で、デビューから4連勝で皐月賞に優勝。3冠馬誕生の期待がかかったが、左前浅屈けん炎を発症してダービー出走を断念。そのまま、競走生活にピリオドが打たれた。引退後は社台スタリオンSで種牡馬となり、05年に初年度産駒がデビュー。ロジックがG1・NHKマイルCに優勝するなど、ファーストクロップか ら活躍馬を送り出し、今は亡きサンデーサイレンスの後継馬のエースとして期待された。08年には内国産種牡馬としては57年のクモハタ以来51年ぶりの快 挙となるJRA総合リーディングサイアーの快挙を達成した。代表産駒には、昨年の有馬記念などG14勝のダイワスカーレットや、28日の宝塚記念の最有力候補ディープスカイがいる。今年も200頭前後に種付けを済ませた矢先の急死だった。
 ◆アグネスタキオン 父サンデーサイレンス、母アグネスフローラ(父ロイヤルスキー)。牡11歳の栗毛。戦 績・4戦4勝。01年の皐月賞では、兄アグネスフライト(00年ダービー馬)とともに、兄弟クラシック制覇を達成。ほかに重賞勝ちは01年報知杯弥生賞・ G2、00年ラジオたんぱ杯3歳S・G3。また、祖母アグネスレディー(79年オークス)、母アグネスフローラ(90年桜花賞)に続く母子3代G1制覇も 果たしている。同期にはジャングルポケット(ダービー、ジャパンC)、マンハッタンカフェ(菊花賞、天皇賞・春、有馬記念)、クロフネ(NHKマイルC、 JCダート)がいる。

POGの持ち馬だったのでデビューを楽しみにしていました。2000年12月2日の新馬戦を3角捲りで圧勝したのを中山で見て「これは兄以上になるかもしれない」と思ってたんぱ杯は阪神まで見に行きました。断然人気クロフネと札幌王者ジャングルポケットとのレースでしたが、レース前何となく「絶対勝てる」という確信が湧いてきて、単勝を1万円買いました。レースは4角で前を行くクロフネを捉えて直線半ばで先頭に立ち4馬身ちぎってレコード勝ち。その後、不良馬場でぶっちぎった弥生賞、クラシックを取った皐月賞も生で見ましたが、たんぱ杯の感動を忘れることはないでしょう。
種牡馬としてダイワスカーレット、ディープスカイなどを出し、今後も期待していただけに本当に残念です。
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2009/03/03

ダービー馬メリーナイスが死亡

映画「優駿」のモデル、メリーナイス病死

87年のダービー馬で、映画「優駿」のモデルにもなったメリーナイス(牡25)が1日、繋養(けいよう)先の渡辺牧場(北海道浦河町)で疝痛(せんつう)のため病死していたことが3日分かった。同牧場によると、先月になって疝痛を発症。今月1日になって容態が急変。そのまま病死した。同馬は88年に現役を引退。種牡馬としては93年の共同通信杯(G3)を制したマイネルリマーク、94年の京都4歳特別(G3)を勝ったイイデライナーを送り出し、99年に種牡馬を引退した。通算成績は14戦5勝。

4白流星の派手な馬体、朝日杯を勝ち、日本ダービーでは根本騎手の水車ムチに応えて6馬身ぶっちぎり(メイズイ以来の大差の勝利)、映画「優駿」の主役の座を射止めた。
その後セントライト記念快勝も菊花賞は引っかかって惨敗。有馬記念はスタート直後に落馬。函館記念はサッカーボーイにぶっちぎられて2着までとダービー後は勝ち運に恵まれなかった。
綺麗な馬だったし、好きな馬でした。余生を送っていた牧場で死んだのなら幸せだったでしょう。合掌。
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2008/12/08

ワイルドアゲイン 死亡

BC初代覇者ワイルドアゲイン死亡

 第1回BCクラシックの覇者で、種牡馬としても活躍したワイルドアゲイン Wild Againが現地時間5日、繋養先である米・ケンタッキー州のスリーチムニーズファームにて老衰のため、安楽死の処置がとられたことがわかった。28歳だった。ワイルドアゲインは父Icecapade、母Bushel-n-Peck(その父Khaled)という血統の米国産馬。現役時代の主な勝ち鞍には84年BCクラシック(米G1)、メドウランズCH(米G1)などがある。通算成績28戦8勝(重賞4勝)。 代表産駒には日本で種牡馬入りしたワイルドラッシュ(メトロポリタンH-米G1、カーターH-米G1)をはじめ、Elmhurst(BCスプリント-米 G1)、Sarava(ベルモントS-米G1)などがおり、日本でもナリタキングオー(スプリングS-GII、京都新聞杯-GII、共同通信杯4歳S- GIII)、ワイルドブラスター(アンタレスS-GIII、マーチS-GIII・2勝)、タイキリオン(ニュージーランドT-GII)などの産駒が活躍。 04年に種牡馬を引退していた。

この馬も昔ケンタッキーで見た馬でした。場長(もちろんアメリカ人)が代表産駒に「naritaking-o」を挙げたのを思い出します。
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2008/04/20

皐月賞

皐月賞
レース終了後の馬場開放です。キャプテントゥーレの馬体重減にビビって馬券は外しました。川田が上手く乗ったということに尽きますが、馬場に入って感じたことは内は芝が所々はげている土馬場状態なのに対して外は馬場が重く内外の差がありすぎ。これで本当に良馬場だったんだろうか、という負け惜しみでありました。

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2007/02/22

My Old Kentucky Stallions

久々にアルバムから写真を引っ張り出して
シアトルスルー、スルーオゴールド、エーピーインディにアンブライドルドを追加しました
http://spotching.air-nifty.com/photos/kentucky/index.html
これ結構見てもらっています(なんと世界中?から)
有名無名に成功、不発とまだまだ種牡馬の写真が残っているので余裕が出来たらまた追加します

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2006/10/30

エルグランセニョール

10月19日、余生を過ごしていたアッシュフォードスタッドで老衰のため死去 25歳
http://www.netkeiba.com/news/?pid=news_view&no=16337&category=C

1997年に撮影した写真を載せます。
http://spotching.air-nifty.com/photos/kentucky/img067.html

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2006/10/23

”ロック様”がやって来る!

大物マイラー ロックオブジブラルタルが日本へ

23日、種牡馬ロックオブジブラルタル Rock of Gibraltar(牡7)が、来年から新ひだか町・日本軽種馬協会静内種馬場で種牡馬入りすることが明らかになった。 ロックオブジブラルタルは、父デインヒル、母Offshore Boom(その父Be My Guest)という血統の愛国産馬。現役時代は愛・A.オブライエン厩舎に所属し、2歳時の01年にデビュー。同年の仏グランクリテリウム(仏G1・芝 1400m)、デューハーストS(英G1・芝7f)を勝つと、翌年は英2000ギニー(英G1・芝8f)、愛2000ギニー(愛G1・芝8f)、セント ジェイムズパレスS(英G1・芝8f)、サセックスS(英G1・芝8f)、ムーランドロンシャン賞(仏G1・芝1600m)と、2歳から3歳にかけて欧米 でG1・7連勝。G1連勝の世界記録を樹立した。現役最終戦のBCマイル(米G1)は2着に敗れたが、02年の欧州年度代表馬に選ばれている。03年から愛・クールモアスタッドで種牡馬入り。現在はシャトル種牡馬としてクールモア・オーストラリアで繋養されている。初年度産駒は現2歳になるが、 今のところ重賞勝ち馬はイーグルマウンテン Eagle Mountain(ベレスフォードS-愛G2)のみという成績。JRAでは現在、ユキノマイ(牝2、栗東・藤原英昭厩舎)、ラブレター(牝2、栗東・坂口 正大厩舎)の2頭が馬名登録されているが、2頭ともまだ出走していない。父デインヒルは05年の英リーディングサイアーで、欧州を代表 する大種牡馬。日本では96年にデインヒル自身がリース繋養されたほか、デザートキング(愛ダービー-愛G1)らも導入されたことがあるが、直系の活躍は ファインモーション(02年エリザベス女王杯-GI)くらいで、欧州ほどではない。日本でどれほどの成績が残せるか注目される。

http://d.hatena.ne.jp/dobashi/20061023/1161602655

エルコンドルパサーは見られず、ディープインパクトは見に行かなかった自分ですが、2001年サキーが勝った凱旋門賞当日のグランクリテリウム(ロンシャン1400m)に出走した”ロック様”の走りは見ました。

種牡馬成績が期待ほどでないため(デインヒル天国の豪州でも不振)なので日本に来たということでしょうか?一時期日本にいた父親も成功しなかったし、クールモアの肌馬>>>>日高の肌馬だからどうかなぁ。でもダンシングブレーヴは日本に来た途端に残してきた産駒が走り出しましたからね。
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